しかし、祖母が亡くなってから、私は大きな後悔に苛まれます。
祖母から聞いた話をこども達に伝えようとしても、上手く話ができないのです。一部のことは詳しく聞いていても、それまでの経緯がわからなかったり、よく覚えていなかったり。結果あいまいで、中途半端な話になってしまう。
私にとって一生の宝物になった祖母のストーリーをこども達には渡せない。とてもショックな出来事でした。
まずお話したことによって自分の未来ビジョンがより明確になり、たくさんの学びや発見がありました。一人で考えているより、第三者に今の想いを聴いてもらうのは大切なことなんですね。お話もしやすくて、とても素敵なお時間でした。
そしてクオリティの高さに驚きました。お写真もさることながら、文章や紙面構成がとても見やすかったです。名刺代わりにしたいくらい、大満足でした!
無我夢中でここまできて、当たり前のように感じていましたが、あらためて振り返ってみると自分も意外とよくやってきたんだなと思いました。こどもの頃からの歳月を辿ってみると意外と現在に繋がっているのがわかり面白いですね。数十年ぶりに思い出したこともありました。こういうことを話す機会はなくなっていましたが、楽しくて良い体験ができました。
最初にテーマを決めて1回目(60分)のインタビュースタート。お友達と会話するようにリラックスしてお話いただけます。
2回目以降(60分)のインタビューは日を開けることで気がついたこと、新たに加えたいこと等が出てくるかと思います。新たなアイデアや変更点がありましたらお知らせ下さい。
はじめまして
人生ストーリーの記録係、前(トリ編集長)と申します。
小さな頃から人見知り。おとなしくて前に出るのが苦手。
学校の休み時間には教室の隅で数人の中の良い子とお話しするか
図書館で借りてきた本を読んでいるような子でした。
思えば、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとはっきりという子だったので
女の子の仲良しグループに入るのは難しいタイプだったかもしれません。
好奇心旺盛で本が大好きだった私は文学部に入り、創作について学びました。
その後ファッションに興味を持ち、衣料品全般を卸している会社に就職。
次は仕入れ先のメーカーに転職し、営業事務を経て企画デザイン
商品カタログのための写真撮影などを担当。
海外とのやり取りや、一からモノ作りをする楽しさ、全国に配送する手配など
多くのことを経験させていただきました。
他、覆面調査員・広報市民記者・YouTubeの台本執筆など、興味を持ったことにチャレンジ。
こんな私の人生には祖母の影響が色濃く出ています。
大正生まれの祖母はたくさんのことを経験し乗り越えてきた人でした。
8人兄弟の7番目に生まれた祖母は若い頃は親元を離れて京都でお針子さんの修行に出て
戦争が激しくなると名古屋の実家に戻り、中心部から疎開してきた子達のお世話を
していたそうです。
その後戦争が終わって親戚の紹介でお見合いをして結婚。お菓子の製造、販売
お好み焼き屋さん、飲み屋さんを経て喫茶店を経営、84歳まで店に立ち続けました。
流れていました。お客さんを飽きさせないようにと新しいメニューの開発にも熱心で
カレーの味について意見を求められたこともありました。
お客さんの前に立つ仕事だからと、身だしなみに気を使い、お肌の手入れもきちんとして
ニコニコ笑顔を絶やさず、周囲の人にいつも感謝の気持ちを伝えている祖母が大好きで
私も祖母のように歳を重ねたいと思っていました。
店を引退してからは、一緒にドライブに行くように。
ゆっくり話をする時間ができると祖母は、自分が幼かった頃の話をよくしてくれました。
小学校の入学式の日には年の離れたお姉さんが縫ってくれた着物を着ていったこと。
ブランコがあったので乗ったら着物が汚れてしまい、後で怒られたこと。
習字の授業で花丸をもらえたのが嬉しくて、農作業をしている人に見せながら田んぼ道を帰ったこと。
その後の修行時代、戦争の話、お店の話、全てが祖母を形作っていて、私に繋がっている。
自分がここにいることは当たり前なことではないと感じました。
<続く>